いっそ宝箱

日々のあれこれや何かの感想、考察という名の妄想など

水溜りボンドの関係性について

水溜りボンドが好きだ。
まだ全ての動画を観たわけではないが、二人の関係性がとても好きだ。

二人の馬鹿できる関係というのは特別だ。
もし二人が恋人同士であれば二人の関係は長続きしなかったろうと思う。なぜなら恋人というのは一対一で完成してしまうものだから。あなたと私。それ以外の人間は必要な人であっても関係ない。恋人という枠組みの中には入れない。なぜなら恋人は一人だけだから。
でも二人は友達だ。友達に枠はない。あいつと俺とそいつとこいつ。友達は一人でもいいけど、もっと多くてもいい。恋人と違って、「なんで俺以外の友達作るんだよ」とは決してならない。
だから二人が友達でいてくれてよかった。彼らは枠に囚われなくて済む。枠に囚われなくていいということは、どんな形にもなれるということだ。

もしも二人が恋人だったら、きっととても仲良しで、とっても愛し合っていただろうけど、どちらかが崩れただろうとも思う。

圧倒的な発想を持つ努力家。スポーツで培ってきた我慢強さ、リーダーシップ、正義感を持ちながら、それを驕らないカンタ。好んで読書をし、音楽を聴き、たくさんの新しい世界を自分のなかに取り入れるカンタ。一人の時間が必要なカンタ。
彼の生い立ちから見て、彼は“自分は特別な何かにならなければいけない”という強迫観念にも似た感情を持っているのではと感じる。
マレーシア出身でミドルネームがあって剣道の全国大会で優勝、バスケ部では部長、彼はいつだって何者かであり続けた。その自分が“普通に就職”することに違和感を感じたのではないだろうか。
彼は普通でいられないのだ。普通と呼ばれるくらいなら、彼はきっとサイコパスと呼ばれる方がマシだと感じるのではないだろうか。

そしてトミー。
彼は新しい世界をどんどん取り入れるというよりかは、自分の住む世界をどんどん広げていくタイプのように感じる。カンタが輸入を繰り返しているとしたら、トミーは畑を耕している。その畑がどんどん
広がって、今の交友関係の広さに繋がっている気がする。出会った人を大切に。自分の作物を育てるみたいに。
トミーは従順だ。おもしろいことに従順で、好きな人に従順だ。一途とも言う。尽くすタイプだ。
「俺はどっちでもいいよ」と言うことが出来るし、「お前のやりたいようにやりな」と言える。しかし主体性がないわけではなく、嫌なことは嫌だと言う。信頼する人の前ではごねるし甘えるけれど、人前ではカッコつけるしちゃんとした自分でいたがる。
まさに兄、という感じだ。
カンタは弟だから、余計に相性がいいのかもしれない。

そんな正反対の二人。
まるで光と影だ。カンタは自分のことをよく闇だと表している。だからトミーにはいつも感謝していると。
脳波でアスレチック~の動画で、カンタは「(俺は)お前の影」と言い、照れるように下を向いている。それは服の色合いについて話していたときのことだったから、トミーは普通に「ハチの影~」なんて言っていたけれど、カンタはくさいこと言っちゃったなと思ったのだろう。だから下を向いて照れるように笑った。
「俺はお前の影」というのは、「お前は俺の光だ」ということだから。キルアとゴンかよ。
そしてそれに気付かず「ハチの影~」と笑っているトミーは本当に光だ。太陽だ。闇側はいつも深読みしすぎて複雑だ。

そんな闇と光が恋人だったら、崩れてしまうのはきっと光の方だ。光の力が強すぎて闇が耐えられなくなることもあるけれど、それは光に優しさがない場合。ただ元気な光ってだけの場合だ。優しい光はそれと違う。
優しい光は、闇を受け止めようとする。闇はそれを感じたとき、決して依存してはいけないのだ。

カンタが眠っているキイチにチョコレートを食べさせて笑っていた、という動画を観たとき、又吉の「東京百景」という作品に出てくる「池尻大橋の小さな部屋」を思い出した。
これは又吉の小説「劇場」の元になった作品、そして恋であると私は勝手に思っているのだが、その池尻大橋~に似たような描写が出てくる。
又吉は夜中、寝ている恋人を起こして「水やで」と言いコーラを渡すのだ。寝ぼけた恋人はそれを飲むが、水だと思ったものがコーラだったので「ああっ」と言いながら喉を掻きむしる。そして二人は笑い合う。そんなシーン。
彼らの恋がそうだった、光と闇だった。恋人だったから、若かったから、売れなくてお金がなかったから、闇は光に寄生した。
彼女は本当に明るかったのだ。よく笑い、軽やかで、気分の高低差が激しい彼を励ました。彼が泣いて帰ってくると季節の果物を剥いてあげた。尽くすことの出来る人だったのだろう。
けれど、又吉が売れ始めた頃、彼女は東京に住めなくなった。それが光の限界だった。闇は自分を責めたけど、光にはもう会えなくなった。

だから寝てるキイチにチョコレート、のエピソードを聞いたとき、ああ二人の関係が友情で本当に良かったと思った。
カンタが依存する闇だとは思わない。思わないけど、カンタの闇の部分をトミーは一身に受けなくていいのだと思うと安心した。なぜなら彼らの関係は友達だから。天才の闇を友達同士で分担することができるから。トミーはキイチやPさんやまんず達と一緒にご飯が食べられる。一人で寂しい思いをしなくていい。カンタも一人での時間とみんなとの時間とを選ぶことが出来る。
コンビYouTuberだから、カンタ一人でお金を稼いでいる訳じゃないから、トミーは自分の欲しいものは自分で買える。そこに「これはカンタが稼いだお金だから」なんて気持ちや申し訳なさは必要ない。二人で考えて、二人で行動して、シェアハウスのメンバーに支えられて、そうして成り立たせてきたことだから。頑張ってきたから。
ああ、なんて素晴らしい関係なんだ。
二人の関係が友達でよかった。シェアハウスで良かった。
二人の間に依存は存在しない。あるのは信頼だ。

それでもカンタの愛はきっと重いだろうけど、トミーもトミーでフランクにカンタのことが大好きだから。

トミーは平均して100の愛をカンタに送り続けていると思う。そりゃ人間だから、相手への愛が50の時もあるだろうし150の時もあるだろうけど、平均するとずっと100。常に100。オンでもオフでも100の愛を送り続けられる男。それがトミー。すごい男。安心感の塊。
だから解散なんて言われたら、カンタは「今までずっと100の愛をくれていたのに!」とビックリする。
そりゃ「どうしてこうなるんだろうな」って言うし、「絶対おかしい」って言うし、そりゃ泣くよ。きっと裏切られたみたいな気持ちになるのだ。だって常に愛情100の人だったんだから。

それに比べてカンタのトミーへの愛の振り幅は3か1,000,000かだ。
動画の時はいつだって1,000,000の愛をくれるし、そもそもコンビの相手に自分を選んでくれたってだけでも心踊るものがあるだろう。
だけど動画を撮らない時の愛は3くらいに思えてしまう。だってそもそも部屋から出てこないし、色々作ってるのにご飯は基本一人でコンビニ飯食べちゃうし、シェアハウスなのにカンタだけ一人暮らしだし。笑
私たちは動画の彼らしか知らないから下手なことは言えないけれど、トミーがルームランナーをカンタにプレゼントしたことからもお察しだ。トミーはカンタとの関係をビジネスライクなものにはしたくない。だって学生のときはそうじゃなかったから。動画撮るとき以外も傍に居たから。
もちろんそういう気持ちがカンタの重荷になっちゃうのはイヤだから、わざわざご飯に誘ったりはしないし、自分の時間を大切にしてほしいって思ってる。カンタは3の愛のときもあるけれど、本当は1,000,000の愛をくれる人だって知ってる。「俺早死にするんで(そしたらトミーを)捕まえてください」という言葉が全てだ。死ぬまで一緒にいる気だ。ビジネスライクなんかじゃない。編集の技術が上がった分、いいものを作るために忙しさが増しただけだ。
でもだからこそ、気分がノったらでいいんだ。たまには部屋から出てきてねって。

そんな二人の関係が好きだ。ずっと続いてほしいとも思う。
二人の関係は友情だから、枠に囚われなくていい。色んな形で、色んな変化を持ってして、その時の気持ちを大切に。どうか二人が、いつまでも幸せでありますように。