いっそ宝箱

日々のあれこれや何かの感想、考察という名の妄想など

友人から下に見られる


というのはよくあることで、それは私の自尊心の低さから来ているものなのだと知っている。
ひどいことを言われてもヘラヘラと笑うので、「なるほどこいつにはひどく接してもいいらしい」と思われるのだ。

じゃあそういう子と距離を置こう、とそういう子を減らしていくと、既存の友達が新しく私を「傷つける」子になる。
あれはなぜかしら。どういう原理なのかしら。

よもや自分に原因があるとしか思えず、嫌われない人間になろう、とする。私は決してその子にひどい扱いをしないし、かわいいね、素敵だね、と言葉にして伝えるようにしている。
けれど、わたしは、見た目から馬鹿にされてしまう。細長い体型、敏感肌ゆえ荒れやすい顔、ラフな服装、挙げ句の果てには髪質にまで文句を言われる。みんなが私のご意見番になって、「そんなんだからあんたは」「もっとこうした方がいいんじゃない?」私はそれをアドバイスとして受け取ってニコニコする。

けれど思う。そのうち。きっと。たぶんだけど。
私は友達なんて一人もいらないから、居なくていいから、穏やかな時間を取るようになるかもしれないな、と。

神聖かまってちゃんのグロい花という曲に「傷つけてくるような人はぶち殺したい」という歌詞がある。私は早くそれをしたい。
見た目をディスられたことを人に話したら、「でもそれは正解」と返された。私の見た目がもやしやカイワレに似ているというディスだった。それは彼女らにとって正解で、おもしろいからアリなのだ。
私は太っている友人に対してブタやデブという暴言を吐く奴は許せないし自分だって絶対に言わない。傷つける言葉だと知っているからだ。身体的特徴を嘲笑することに嫌悪感を抱くからだ。

そうだ、道徳観念が合っていないんだ。
道徳観念が同じ人と仲良くなりたい。
穏やかな、馬鹿にしない、たくさん褒めても調子に乗らない人。

最近の私は暗いことばかり考えている。