いっそ宝箱

日々のあれこれや何かの感想、考察という名の妄想など

神聖かまってちゃんと私


という、おセンチでおメンヘラなことを書いてみようと思い立ったのは秋だからです。秋ってすごいね。

私が初めて神聖かまってちゃんに興味を抱いたのは2012年の5月末。
andymoriの為に行ったROCKS TOKYOというフェスの、後の、動画配信でだった。
andyの壮平くん目当てで神聖かまってちゃんの動画配信を観ていたら、二人が仲良くblack birdを歌ったりお話したりしていて、の子にすごく心惹かれて、そのままYouTubeでかまってちゃんのMVを観漁った。

当時、私はバンドを教えてくれた友人達から「神聖かまってちゃんは変で怖いバンドだから観ない方がいいよ」と言われていた。一人は「喋ってるみたいな歌い方がイヤ」と言い、一人は「夕暮れのピアノって曲聴いてすごく気分が悪くなった」と言っていた。
確かに私も「夕暮れのピアノ」はあまり繰り返して聴くことはないが、あの、悲痛な、「死ねよ」ということでしか消化できない気持ちは持っているし、知っているものだった。

神聖かまってちゃんを知った2012年、私はニート真っ最中だった。2012年の4月から11月までニートだった。22歳で、高卒だった。大卒の友達がみんな就職していくなかでの辞職、ニート。実家暮らし。貯金をすり減らしながら、それでも親には「干渉しないで」という意味で月三万渡していた。それでも干渉されていたけれど。

私はの子の配信をかじりつくように観て、TSUTAYAでかまってちゃんのアルバムを借りて何度も聴いた。特に「8月32日へ」というアルバムが好きで、何度も何度も聴いて、ハロワに行った帰りは決まって一人カラオケに行ってかまってちゃんの曲を歌って帰った。
グロい花、制服b少年、夕暮れメモライザ、僕は頑張るよっ、死にたい季節、僕のブルース、さわやかな朝、ねこラジ、男はロマンだぜ!たけだくんっ、などの曲は特に何度も何度もカラオケで歌った。なんなら立って歌っていた。それぐらい好きだし感情移入できた。

そして貯金が底をついた私は11月に本屋のバイトを始めた。憧れの本屋でのバイト。楽しかった。幸せだった。私は児童書担当になり、そのお陰でたくさんの絵本を好きになった。
でも給料は安かった。基本週4で、大体一日6時間くらいしか入れなかったので月10万くらいしか稼げなかった。お金がないと心が荒む。親からもやいやい言われ、毎日腹を殴って眠った。痛みで眠るしかなかったからだ。ニートになってからひどくなった肌荒れは、本屋になってからも治ることはなかった。そもそも胃が弱い上に、肌診断によると私は高敏感肌だった。
給料が安いから、100均で買ったお弁当箱にご飯と、肉と野菜を炒めたものを詰め込んでバイトに行った。寒い社員食堂でそれを食べて、小説を読んで、の子の配信を観た。
の子のニコ生に死ぬほどコメントを送って、結構読んでもらえて、それが死ぬほど嬉しかった。当時の手帳を見返すと「の子にコメントを読まれた!」と書き込まれていたりする。
そのうちちばぎんの配信にもコメントを送るようになり、読まれる為に何度もコメントを送った。

そして2013年2月、「マイスリー全部ゆめ」がYouTubeにアップされた。その曲は私にとって革命だった。こんなに寄り添ってくれる歌があるのかと震えた。バイトに行く道すがら、何度も何度もその曲を聴いた。どの歌詞が特に、とかはなく、とにかく全部、歌詞も曲も声も全部、救ってくれる歌だった。

それだけ好きでも、ライブに行くことは考えていなかった。
ライブ配信を観る限り、私が一人で行けるライブではないと感じていた。以前友人らに言われた言葉に共感するところもあった。ギターを壊し、パソコンを投げ、流血するボーカルを眺めるライブには参加できないと知っていた。

だから曲を聴いた。インターネットでライブに参加した。「ライブに来ない奴は底辺」と当時のの子は言っていて、それに傷つきはしたが別に底辺でもいいとも思っていた。

そのうち私は友人の紹介で転職できることになり、憧れだったけど給料が安い本屋のアルバイトを辞めた。
高卒なので知れているが、給料が安定したことで実家暮らしの私は貯金ができるようになった。
そして一人暮らしを始めた。家族に苦しめられているという意識があったので一人暮らしは天国だった。

次第に私はかまってちゃんに依存しないようになり、配信を観なくなり、YouTubeで曲をチェックするだけになった。

しかし、「幼さを入院させて」というアルバムが発売されたとき、「まいちゃん全部ゆめ」という文字を見つけてどうしようもない気持ちになり、アルバムをダウンロードで購入した。タイトルは変わっているがあの曲だった。マイスリーというのが薬の名前だとその時はじめて知った。
いてもたってもいられなくなり、2017年のツアーのチケットを買った。買ったはいいけど行こうか迷っていると友人に相談すると、「そんなん行った方がええに決まってる」と背中を押してくれた。かまってちゃんが嫌いな友達だったのにそう言ってくれたことが嬉しかった。
もちろん一人参加だったし行ったこともないライブハウスだったけれど、本当に行ってよかったと思う。

の子が出てきた瞬間、神様を見つけたような気持ちになったのを覚えている。
andymoriの壮平くんはお客さんのそういう目線が怖いと言っていたっけ。自分がヒトラーになったように思えて苦手だと。けれど私はそんな目をの子に向けた。見つけたと思った。
の子はギターを壊すこともパソコンを投げることも流血することもなかった。
服を脱いで客席にダイブして背中を引っかかれてはいたようだったけど、何も言わなかったし痛そうな顔もしなかった。

なんならぼくブルをやる前に少しごたついたのだけど、その時に「久々に気ぃ遣ったわ」との子は笑っていた。「大人になっちまったなぁ」「子どもも子どもで大変だけど、大人も大人で大変だよ」と笑う、その爽やかさたるや。

年を重ねることってめっちゃいいことじゃん、って、初めて心から思えた日になった。なんてかっこいい年の重ね方をしているんだと憧れた。

そしてマイスリーのイントロが始まった瞬間にボロボロと泣いた。この歌に何度救われたことかと。あの歌がなければきっと2013年を乗り越えることは出来なかった。そういう意味でやっぱりの子は私にとって神様なのだ。神様を生で見れた私は幸せ者だ。

客席には金髪になった小中の同級生が居た。仲がいい訳でもないので声は掛けなかったが、そうか、君も救われているのかと不思議な感覚になった。

ライブ終わり、ドリンクを交換しに行くとスタッフの人に「ライブは楽しかったですか?」と聞かれ、素直に「楽しかったです!めっちゃ泣きました!」と答えることが出来た。
素敵な一日だった。駅から家までの帰り道、結構寒かったのにコンビニでビールを買って飲みながら帰った。
ニートだったとき、平日の昼間にビールを飲みながら公園を歩いていたことを思い出した。あの頃は何もかもが怖かったけど、今は怖いものも随分と減った。

今年のツアーはグズグズしていたらチケットがソールドしていた。
の子がへきトラに提供した「だって笑ってんじゃないの」という曲が最高だった。彼は神様ではなくて人間なんだとちゃんと思えるようになった。私はそのうち30になるけれど、神聖かまってちゃんには「33才の夏休み」という曲があるのでそれまでは自殺せずに生きようと思っている。こんなことを思っている時点で十分彼を神格化したままなのかもしれない。

馬鹿みたいな話だけれど、あの頃も今も、相変わらずあなたの曲たちに勝手に救われているのだ。私の為に作られた曲でもないのに勝手に救われている。いつかまた勇気を出してライブに行くよ。その時はグッズもたくさん買えるよう、今からせいぜい貯金しておくよ。