いっそ宝箱

日々のあれこれや何かの感想、考察という名の妄想など

トイ・ストーリー4観たよ

ネタバレになるので少し下げます。
これは個人の感想であり、物語の本質を決めつけるものではありません。あくまで、「ほーん、そういう解釈ね」くらいに受け止めてください。



































オープニングから号泣したんだけど。
うわあ~~~!!!トイ・ストーリーだ~~~!!!って感じ。おかえり……。

ストーリーもめちゃめちゃ良くて、あーこれはボー・ピープの救済の物語であると同時に、ウッディ救済の物語でもあるんだなぁ。なんて思ったりして、ぽかぽかした気持ちで帰宅。

で、今日職場のトイ4観たって人に「私も観てきましたよ!もうめっちゃよかったですね!」って声掛けたら「え~~~、3で終わっといてほしかったよ。本当にトイ・ストーリーが好きな人はあの物語を受け止められない」って言われてビックリ。お???ケンカか????

えっ!!!でもさ!!!!3でボー・ピープがしれっと居なくなったときショックだったじゃん!?!?!?!?トイ・ストーリー本当に好きとかどうとかは知らんよ!!!そもそも本当に好きってなに!?!?!?それぞれの“トイ・ストーリーと私”があると思うけども!!!

ってことをやんわり、オブラートに包みまくって言ったら「ウッディがみんなと離れる必要はなかった」「アンディとの別れでも辛かったのに」って言うてて、この人はあの物語にほんまに傷ついたんやろうし、傷ついてる人をこれ以上追い込んだり、感傷に浸ってるときに「こういう考えもあるよ!?」って自分の意見押し付けるのは良くないと思ってるから、「あーそうですねー」言うといたんやけど、でもブログではこれもう好きに感想言わせてくれ。


まずね、やっぱりボー・ピープが居なくなった時点でこちとらショック大だったわけですよ。3のときしれっといなかったでしょ。ずっと一緒にいたのに。突然ヒロイン交代みたいになって。別にボーとジェシーってキャラ被りしてたわけでもないのに。しれっと。しれーーーっとおらんくなってて。確かに陶器の彼女が3の舞台であるあの保育園に連れていかれてたら一発でオジャンですよ。子供達がキャーーー!!!って入ってきてガシャーーーン!!!うわあああああ!!!!!ボーーー!!!!ってなるトラウマ映像確定ですよ。
でもそういうね!!大人の事情で出せなかったかもしれないキャラを4を作ることで出してくれたんじゃん!!!

しかしボーピープは陶器で出来てるがゆえに腕とか折れた状態で出てくるわけですよ。簡易的な修理をしてるとはいえね。修理した腕が取れるなんてしょっちゅうですよ。
つまりこの時点でもうボーは、ウッディと一緒にボニーの元へ帰ることは無理なわけです。だって今のボーはボニーにとっては壊れたおもちゃでしかないから。大好きなおもちゃが壊れたわけじゃない。元から壊れたおもちゃって存在でしかない。無理よ。そんなん子供はいらんって言うよ。

私らが知らん期間にさ、ボーに何があったんかって思ったらつらすぎて。それこそ、初めて腕が折れてしまった日、ボーはめちゃくちゃ泣いたんじゃないかな。だってすごい怖いことですよ、壊されるって。自分の体を他者によって勝手に傷つけられ、一生もんの傷が残る。心にも体にもね。でも生きていくしかないんですよ。昔の楽しかった記憶と、大好きだったウッディのことを思い出しながら。羊たちに抱きついて眠れない夜を過ごしたこともあったろうさ。
そのうち新しい友達もできて、強くなるしかないって頑張って、傷ついた心はそのままに、もしかしたらその傷口を隠すように、ボーは自分自身の力で新しい人生を豊かなものにしていった。
なんて言ったらいいのかな、楽しかった人生が第一章、傷ついた人生が第二章、そして自由かつたくましい人生が第三章みたいな。そんなん切り替えていかな生きていからへんから。ボーは強くなるしかなかったんですよ。迷子の自分を、迷子だからこそ最高の自分、ってのに変えていったんですよ。

一方ウッディ。
彼はもうあれですから。ずっと一位で、ずっとリーダーで、どんな困難も乗り越えてきましたから。
でもそれが二軍どころか三軍みたいな扱い受けるわけでしょ。お前いらんから保安官のバッジだけくれよみたいなね。
ボーとジェシーはキャラ被りしてなかったけど、ウッディとジェシーはボニーにとってみたらがっつりキャラ被りしてますからね。どっちもカーボーイキャラのおもちゃですからね。
もうウッディとしては「自分の存在意義とは??」「何のために生まれて何をして生きるのか???」みたいなね。そんな気持ちになるわけじゃないですか。そしてそんなときに現れたのがフォーキー。困ったちゃんのフォーキーにウッディはもうね、「ぼく新人教育係りしますよ!!」みたいな気持ちでウキウキですよ。第二の人生始めようって。フォーキーめっちゃ可愛いしな。「ゴミ?」って。ゴミじゃないよフォーキー!!君はおもちゃ!!!「ゴミ?」ゴミじゃないよぉぉぉ!!!「抱っこして!」おーーーよしよしよしよし。一生このやり取り出来る自信あるわ。めっちゃ可愛かったフォーキー。
ボニーもそんな可愛いフォーキーのことが大好き。ボニーに愛されてるフォーキーを助けたり指導してあげることでウッディも“自分の役割”“自分の存在意義”を見出だせて嬉しい。嬉しい?本当に?それでウッディは幸せなの?
ウッディは孤独じゃん。心から自分の気持ちを分かってくれる人なんて周りにいないじゃん。ずっと誰かの一位で、でも今は三軍の人。そんな人周りにいる?いないんだよ。みんな今もボニーに選ばれてる。選ばれてないのはもう“対象年齢”を過ぎたおもちゃたちと、昔はカリスマだったはずの自分だけ。

みんな自分にどことなく気を遣ってる気がする、疑心暗鬼かもしれないけど、みんなが自分をバカにしてる気がする。ずっと一位で、ずっとリーダーだったのに。
トイ4でバズが「やぁ相棒」って言ってもウッディは相棒って言葉を返してくれなかった。バズの言葉も聞こえてないみたいだった。
「誰も俺の苦しみや悲しみを理解してくれない!!!」の状態。

そして出会う、ボーとウッディ。
ボーは三軍の自分を知らない。子どもに相手にされない情けない自分を知らない。かっこよかった時の自分だけを知っている。
それって結構救われることなんじゃないかなぁ。
ウッディってプライド高いとこあるじゃん。そもそも名前が「ウッディ・プライド」だし。仕切りたがりだし。主人公タイプじゃん。実際主人公だし。
やっぱり誰かに必要とされたいんだよ。ウッディは。誰かの一番になりたい人なんだよ。
それは子どもでもいいし、おもちゃ仲間でもいい。「俺がついてるぜ」って言いたいんだよウッディは。だって保安官なんだから。そういう性分とでもいうのかな。

だからギャビー・ギャビーが「あなたが必要なの!」みたいなこと言ったとき「必要なのは俺のボイス・ボックスだろ!!」って返す。俺自身が必要なわけじゃないだろ!的な。

でもギャビーに「私だって一度くらい愛されたい」って真剣に頼まれると断れないのよ。だってウッディはもうアンディからの愛を知ってるから。
ギャビーは初期不良でボイス・ボックスが壊れてたから、マジで愛されたことがない。ボイス・ボックスさえ直ったら愛されるって信じてる。
そういう気持ちって人間にもありますよね。「目が二重なら」「鼻が高ければ」「骨格が」「歯が」「肌が」それらが自分の納得のいくものになればきっと愛されるのにって思う。普通のオモチャとしての喜びを感じたい。普通の女の子として生きてみたい。誰かに愛されたい。愛されてみたい。自分はいつも遠くの方から誰かに焦がれるばっかりで、枠の中には入れてもらえない、って。そういう気持ち、分かるんだよな。
きっとそれ以外にも理由はあるんだよ。ボイス・ボックスだけが原因じゃないの。でもそれが原因だって思いたいの。一番のコンプレックスだからね。望みをかけてるんだ。それさえ良くなればきっと人生はって。

でも無理だった。ずっと焦がれてたハーモニーに、ギャビー・ギャビーは愛されなかった。もうふて寝ですよ。つらいじゃん。つらすぎじゃん。なんでこうなるんだよって世界呪うよ。
でもギャビーはウッディ達に連れられて広い世界に出て、「泣いてるあの子を元気付けたい」って勇気を振り絞って、嫌われるかもしれない、愛されないかもしれないっていう自分本位の気持ちではなく、「あの子を元気にしたい」っていう利他主義な気持ちで動いたんだよね。そしてその瞬間、全てが上手くいった。

ウッディもそうよね。
ずっと「君のためだ、あの子のためだ」って言ってたけど、ボーに「全部自分の為じゃない」って言われてハッとする。
4でのウッディの行動って、ぜーんぶ自分が愛されるための行動だったんだよね。人を愛す為ではない。これ重いよ~~重い話だよ~~~。そんでムズい。私はこれがずっと分かんないの。自分を卑下したり、自分を圧し殺したりしないで、人の為に生きる。これすごく難しい。人の為に生きると私は都合のいい人になってしまう。でも人の為に生きるってそういうことじゃないでしょう?
難しい。誰かの為に生きるって難しいよ。

でもオモチャたちはそれが出来ている。
こじらせていたギャビー・ギャビーも、そして迷走していたウッディも、それが出来るようになった。

一度段ボールに入れられて見放されたボーは、ウッディがあの決断(ボーと一緒に迷子のおもちゃになること)を下さなければきっとまた「自分は見放された」と思っただろう。
だって昔馴染みのオモチャたちの誰も、「ボーもボニーの所へ行こうよ!!」とは言わなかったもの。だってボーはもう壊れているから。これがおもちゃのシビアなとこさ。状態のいいギャビー・ギャビーは誘われても、壊れたボーは誘われない。
でもそんなボーにウッディは、「俺がついてるぜ」と言うように寄り添った。
それにボーはどれだけ救われたことだろう。苦しみはきっとフワリと軽くなったはずだ。
そしてウッディも救われた。迷子のオモチャになることで、もう大好きな子どもに捨てられることもなくなった。大好きゆえに愛しすぎて、ウッディはいつも囚われていた。人間の子どもでアンディ以上に好きになれる子はもうきっとウッディには一生できない。ウッディはジェシーみたいには生きられない。ウッディにとって最愛の子どもはアンディだけだった。ウッディはアンディだけの保安官だった。アンディのともだちだった。それはきっと他のアンディのおもちゃとは分かり合えない。みんなはそこに固執しない。だって今も遊んでもらってるし。いま遊んでもらってないおもちゃは“一番”ではなかったおもちゃ達だし。そんなことを考える自分のこともウッディはきっと嫌だったろう。

だからもう“子どものおもちゃ”は辞める。
“迷子のおもちゃ”として、ボーと、そして新しい仲間達と生きる。自分が一番輝ける場所を見つけに行く。誰かの為に生きることを自分で選ぶ。
これはボーと、ウッディ救済の物語だ。

もちろんみんなで仲良く暮らせたらよかったのにね、って意見があるのは分かる。でも3の時点で、ボーが居なかった時点で“みんなで”は達成できてなかったんだよ。じゃあもういいじゃん。大丈夫だよ。たぶん映画だかOVAだかでまた続き出るよ。どこかでみんなが再会することもあるよ。だって自由になったウッディはもう何処にでも行けるんだから。



≪7/28 個人的メモ追記≫
トイ・ストーリー大好きな姉に自分の感想を述べたところ、姉から「4はバズの成長も描いていたよ」と教えられる。
割と身勝手で唯我独尊タイプだったバズが、ウッディの気持ちに寄り添おうとしていたり、仲間をまとめていたりしていたと。以前までのバズだったらもっと空回りしていただろうポイントで、相手に寄り添い、相手の気持ちを慮ることが出来てきたと。
だからこそウッディの負担にいち早く気づき、「よぉ相棒」と声を掛け、「交代しようか?」と気遣っていたと。
そして最後の「彼女は大丈夫だ。……あー、ボニーは、大丈夫だ」という台詞は、相棒であるバズに言われたからこそウッディの心に刺さり、また、その言葉を受け止めることが出来たのだと。
あのときバズにそう言ってもらわなければ、きっとウッディはボーの元に帰ることは出来なかったろうと。だから大丈夫だよ、ウッディはきっと私たちが思ってる以上に仲間のことを愛しているし、信頼しているはずだから、と。
もうだめ。号泣。なるほど私は少し歪みすぎた目でウッディのことを観ていたのかもしれない。すごく前向きな見解だ。あーーー泣くーーーー!!!!やっぱりいろんな人の感想とか意見聞くのめっちゃ楽しいし世界広がるな!!!最高!!