いっそ宝箱

日々のあれこれや何かの感想、考察という名の妄想など

二次創作が楽しい


最近、三年ぶりくらいに二次創作をしている。
文字を書くのが好きなので創作内容は小説ということになるが、段落とか付けられないし小説と呼べるものではないのでただの文章。文字。それでも楽しい。何かを書ききるって最近はほんとに出来てなかったらそれも達成感があって楽しい。

今まではジャンルの傾向的にホームページを作ってやっていたのたが、今は二次なのでpixivに上げている。書いたらあげりゃいいだけだし編集もできるしとても楽だ。久々に“誰かに読んでもらっている”という喜びも感じた。

私は書きたいシーンや設定、決まり文句が浮かぶ→少し膨らます→カプを決める→膨らます→書く→気付いたら思ってたのと違うものが出来ていて笑うって感じが多い。みんなはどうなのだろう。タイトルから決めたり、結末までしっかり考えていたりするのかな。ちなみに私はタイトルを決めるのがすごく苦手で、書き終わったあとタイトルを付けるときに30分は悩む。大したタイトルが浮かぶわけではない。

前はパソコンで書いてたのだけど、今はパソコンが壊れてしまったのでスマホで書いてる。書き始めは右手が死んでいたが今はだいぶ慣れた。書くって言うても週一くらいだし。
そのうちちゃんとストーリー性のあるものも書きたいなぁ。今はハマりたてで浮かれてるから、もうとにかく好きなカプにイチャイチャしててほしくってそういうのしか書けないんだよね。好きなカプにエロいことさせるために書いてるよね。自分の欲望に忠実で楽しい~。幸せになってくれーって気持ちのままで書いてその気持ちのままで終わるでしょ。自分で書いたら地雷もないし。好きなカプのこういう会話見てみたーい!こういうやりとりしてほしーい!を考えたり書いたりさ、語彙力が足りなくて思うように書けないことも多いけどそれでも楽しいよ。評価されなくても楽しい。ウケると思ってたものがだだスベりだったり、ウケないと思ってたものが意外にウケたり。あんまり読まれてないけど10人に1人はブクマしてくれてたり。人の評価は気になるけど、ホームページしてた時と違ってリクエスト制度をつける訳でもないし拍手で気軽にコメントをもらう訳でもないので自分の好きなことしかしていない。
ホームページの時はよくリクエストを受け付けていて、「このカプのこういうプレイ書いて!」「○○の続き書いて!」というお声に応えるのも好きだった。そんな発想なかったよ!続きなんてもう書けないよ!ってとこからスタートするでしょ。そこからひねり出すのがおもしろいよね。自分の中になかったものを書かせてくれたりする。そう思うのは好奇心強めの性格だからかもしれんけど。

ホームページの時は自分の王国って感じだったけど閉鎖的で、読んでくれている人と密な関係だった。拍手と感想、それに対するお返事。
でもそれがしんどくなる時もあって拍手を外したりもした。その時、感想がなくても私は書ければそれでいいんだなって思った。大したものは書けてないんだよ、本当。まさにケータイ小説って感じなんだよ。でも趣味だし、発散だから。好きだけで続けてたんだよね。読んではほしいけど人からの評価が欲しいわけじゃなかったのよ。

pixivは立場的に間借りさせてもらってるって感じだけど、開放的だし好きなことしか書いてないから逆に王国って感じだ。それが寂しい時もあるけど、そこは単純にないものねだりだな。日記とかも合わせて置いてるわけじゃないから、人間性と作品を分けられるのもいい。私の人間性なんていらないんだよね。二次創作と私の日常は別物だから。分離というか隔離というか。それがプラスに作用し合うこともあるけれど、私はもうその狭間を人に見られたくない。
私も作家や芸人の日常ってそんな興味ないし。作品や芸から漏れる人間性は好きだしおもしろいけど、それとこれとは別というか。ネタとブログは別物というか。ネタだけ好きだったり、ブログだけ好きだったり。もちろん両方を好きになることもあるけど、そうなる時って私の場合はもうだだハマりして盲目になってるときだからなぁ。私の人間性がよくないんだな。

ホームページ時代、たまに私の日記が好きですって言ってくれる人も居たし、それはそれで嬉しかった。でも人間性に期待されるとプレッシャーになるのだ。だからそこが一緒になって、上手いこと作用出来てる人たちを見るとすごいなぁと思う。別物じゃない人たち。ブレていない。一つの個体、という感じがしていい。たまに「それとそれは分けといてくれ」と思うこともあるけど、でもそれは私が口出しすることではないので。


何が言いたいってとにかく創作が楽しいってことです。これからも丁度いい距離感で書いていきたい。自分にプレッシャーを掛けず、楽しめる範囲で。